弓浜半島の成り立ち~伯州綿と砂州~
こんにちは!
仲里です。
このブログは昨年2019年12月29日に投稿したものです。
諸事情により、こちらに移動いたしました。
何卒、宜しくお願い致します。m(__)m
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんにちは!
今年も残すところ、あと僅かとなりました。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
私は、来年のことを考えながら、ソワソワしています。(笑)
今回は、「弓浜半島の成り立ち」と「砂州」がメインの話題となります。('ω')ノ
何卒、お付き合い願います!
いきなり、メインの話題からそれますが・・・・、
最近の私のブームは、弓浜半島(きゅうひんはんとう)に出来つつある「サイクリングコース」を走ることです!
潮風に吹かれ、白波が立ち、大山(だいせん)に向い鼻歌混じりに、自転車をこぐ♪
晴れの日にはもってこいの、気分転換となっております!

自転車に乗りながら、ふと思うことは、弓浜半島の綺麗さです。
名前の通り、「弓なりに砂浜が続く半島」♪
「サイクリングコース」を走っていると、その綺麗さが良くわかります。
こちらは島根半島からの航空写真。
綺麗に「弓なり」♪

更には、大山の山頂からの眺め。
こんなに弓形なんですね♪
ここまでくると、かなり弓浜半島マニアですね。(;'∀')

眺めも素晴らしいですが、この「弓浜半島の成り立ち」も魅力的です。
弓浜半島は「砂州で形成されている。」とは、良く耳にします。
そして、この「砂地」のおかげで、「綿」の一大産地となったとも言われています。
どのようにして、綿作に適した土地「弓浜半島」が形成されたのか見ていきたいと思います。
弓浜半島の「砂地」にクローズアップです!

私が暮らしている弓浜半島の成り立ちを調べていくと、非常に興味深い内容でしたので、皆様に紹介したいと思いました。(*^_^*)
是非、お付き合いください。
では、行ってみましょう!
前置きとして、「弓浜半島」はここにあります!(笑)
「日本」→「鳥取県」→「弓浜半島」
当然、伯州綿ファンはご存知ですよね。(笑)( `ー´)ノ

(画像はGoogleEarthより作成)
弓浜半島の成り立ちについて、『境港市史』には、このように書かれています。
「中海と美保湾を分ける弓ヶ浜半島は、長さ約18㎞幅約4㎞の全国でも珍しい大規模な砂州と砂丘からなる半島で、地質的には第四紀層に属する沖績地である。」
半島の形成は、主に日野川による砂礫の供給、海面水位の変化、気象変化(海流、波風、洪水など)の影響により、現在の「弓の形」に至ったとされています。
図で説明すると、このような具合です。

(図は『弓浜半島とその周辺』を参考に作成)
沖積層とは約2万年前の最終氷期最盛期以降に堆積した地質学的には最も新しい地層だそうです。
では、どのように「綺麗な弓の形」が作られていったのか年代順に見ていきましょう!
*「弓浜半島成り立ち」については、『境港市史』のなかで紹介されている佐々木謙氏の研究をもとにご紹介いたします。
(図は佐々木謙氏『弓浜変遷説明図』を参照しています。)
【縄文前期】
点線は、現在の弓浜半島を現したものです。
このころは、半島は無かったようです。

【縄文期】
徐々に、砂礫が堆積し、島が出来ています。

【弥生期(古墳・大和期)】
島や半島が広がり、伸びています。

【奈良期】
もうそろそろで繋がりそうです。

【平安期・鎌倉・南北朝・室町】
長い年月をかけ、「夜見嶋」は、日本列島とつながりました。

【戦国・江戸中期】
ようやく、このあたりで現在の「弓浜半島」が出来てきました。

こうして見ていくと、300~500年前頃に「弓の形」が作られたようです。
数々の条件が、合致して今の「弓浜半島」があるのですね。
まさに奇跡の半島!
うぅ~ん。
非常に感慨深いものがあります。(^_^;)

このようにして「弓浜半島」は、「砂州」で形成されたのですね!(*^_^*)
ようやく、伯州綿の話題に戻ります。(笑)
この「砂地」が、綿の栽培に適していると言われています。
綿栽培における「砂地」の優位性は、『鳥取県の棉花』には以下のように記載されています。
「砂質は水はけが良いため、肥料の分解が早くなり、それゆえ綿は早熟となる。
さらに砂地からの反射熱により吐絮した棉花は繊維の撚曲が強くなる。
これにより弾力を増し、良い品質の綿が 生産されるのである。」
(『鳥取県の綿花』より。)

実際に畑で作業していると、砂地からの照り返しは、非常に強いと感じます。(;'∀')
このような特性を持つ「砂州」で形成されている弓浜半島だからこそ、綿栽培の適地となり、「伯州綿」の一大産地となり得たのですね。(^_^)/~
「弓浜半島の成り立ち」と「伯州綿の砂州」について簡単にですが、まとめてみました。(*'ω'*)

話は弓浜半島のサイクリングロードに戻ります♪
弓ヶ浜サイクリングコースは2020年4月までに全ルートが完成する予定です。
日本海と大山の両方を眺めながら走ることができ、砂浜や松林の中を走る変化に富んだルート。傾斜がほとんどなく、初級者でも気軽にサイクリングを楽しむことができます。


(画像は「とりネット」より転用)
疲れたら、浜辺のベンチで、ちょっと休憩をしたり、
さらには、境港の美味しい「海の幸」も堪能できます♪
「来たれ!全国のサイクリスト!」
弓浜半島が、サイクリストの「あこがれの聖地」になる日も近いもしれませんね。(笑)

ここまで、お付き合いくださり、有難うございました。m(__)m
「伯州綿」は、土地の利を利用して一大産地となったことを考えながら、弓浜半島の「サイクリングコース」を走っていると、歴史に思いを馳せ、色々なことが想像できます♪
本年も残すところあと僅かとなりました。
今年も様々な活動を行ってきましたが、これも皆様のご支援のお陰であり、大変感謝しております。m(__)m
来る年が、皆様にとって良い年でありますように。
来年も「伯州綿」を宜しくお願い致します!
良いお年をお迎えください。
では、また!

参考資料
「境港市史」
「弓浜半島とその周辺」
フェイスブックも更新していますので、お見逃しなく!
境港地域おこし協力隊・伯州綿フェイスブック←こちらから
仲里です。
このブログは昨年2019年12月29日に投稿したものです。
諸事情により、こちらに移動いたしました。
何卒、宜しくお願い致します。m(__)m
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こんにちは!
今年も残すところ、あと僅かとなりました。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
私は、来年のことを考えながら、ソワソワしています。(笑)
今回は、「弓浜半島の成り立ち」と「砂州」がメインの話題となります。('ω')ノ
何卒、お付き合い願います!
いきなり、メインの話題からそれますが・・・・、
最近の私のブームは、弓浜半島(きゅうひんはんとう)に出来つつある「サイクリングコース」を走ることです!
潮風に吹かれ、白波が立ち、大山(だいせん)に向い鼻歌混じりに、自転車をこぐ♪
晴れの日にはもってこいの、気分転換となっております!

自転車に乗りながら、ふと思うことは、弓浜半島の綺麗さです。
名前の通り、「弓なりに砂浜が続く半島」♪
「サイクリングコース」を走っていると、その綺麗さが良くわかります。
こちらは島根半島からの航空写真。
綺麗に「弓なり」♪

更には、大山の山頂からの眺め。
こんなに弓形なんですね♪
ここまでくると、かなり弓浜半島マニアですね。(;'∀')

眺めも素晴らしいですが、この「弓浜半島の成り立ち」も魅力的です。
弓浜半島は「砂州で形成されている。」とは、良く耳にします。
そして、この「砂地」のおかげで、「綿」の一大産地となったとも言われています。
どのようにして、綿作に適した土地「弓浜半島」が形成されたのか見ていきたいと思います。
弓浜半島の「砂地」にクローズアップです!

私が暮らしている弓浜半島の成り立ちを調べていくと、非常に興味深い内容でしたので、皆様に紹介したいと思いました。(*^_^*)
是非、お付き合いください。
では、行ってみましょう!
前置きとして、「弓浜半島」はここにあります!(笑)
「日本」→「鳥取県」→「弓浜半島」
当然、伯州綿ファンはご存知ですよね。(笑)( `ー´)ノ

(画像はGoogleEarthより作成)
弓浜半島の成り立ちについて、『境港市史』には、このように書かれています。
「中海と美保湾を分ける弓ヶ浜半島は、長さ約18㎞幅約4㎞の全国でも珍しい大規模な砂州と砂丘からなる半島で、地質的には第四紀層に属する沖績地である。」
半島の形成は、主に日野川による砂礫の供給、海面水位の変化、気象変化(海流、波風、洪水など)の影響により、現在の「弓の形」に至ったとされています。
図で説明すると、このような具合です。

(図は『弓浜半島とその周辺』を参考に作成)
沖積層とは約2万年前の最終氷期最盛期以降に堆積した地質学的には最も新しい地層だそうです。
では、どのように「綺麗な弓の形」が作られていったのか年代順に見ていきましょう!
*「弓浜半島成り立ち」については、『境港市史』のなかで紹介されている佐々木謙氏の研究をもとにご紹介いたします。
(図は佐々木謙氏『弓浜変遷説明図』を参照しています。)
【縄文前期】
点線は、現在の弓浜半島を現したものです。
このころは、半島は無かったようです。

【縄文期】
徐々に、砂礫が堆積し、島が出来ています。

【弥生期(古墳・大和期)】
島や半島が広がり、伸びています。

【奈良期】
もうそろそろで繋がりそうです。

【平安期・鎌倉・南北朝・室町】
長い年月をかけ、「夜見嶋」は、日本列島とつながりました。

【戦国・江戸中期】
ようやく、このあたりで現在の「弓浜半島」が出来てきました。

こうして見ていくと、300~500年前頃に「弓の形」が作られたようです。
数々の条件が、合致して今の「弓浜半島」があるのですね。
まさに奇跡の半島!
うぅ~ん。
非常に感慨深いものがあります。(^_^;)

このようにして「弓浜半島」は、「砂州」で形成されたのですね!(*^_^*)
ようやく、伯州綿の話題に戻ります。(笑)
この「砂地」が、綿の栽培に適していると言われています。
綿栽培における「砂地」の優位性は、『鳥取県の棉花』には以下のように記載されています。
「砂質は水はけが良いため、肥料の分解が早くなり、それゆえ綿は早熟となる。
さらに砂地からの反射熱により吐絮した棉花は繊維の撚曲が強くなる。
これにより弾力を増し、良い品質の綿が 生産されるのである。」
(『鳥取県の綿花』より。)

実際に畑で作業していると、砂地からの照り返しは、非常に強いと感じます。(;'∀')
このような特性を持つ「砂州」で形成されている弓浜半島だからこそ、綿栽培の適地となり、「伯州綿」の一大産地となり得たのですね。(^_^)/~
「弓浜半島の成り立ち」と「伯州綿の砂州」について簡単にですが、まとめてみました。(*'ω'*)

話は弓浜半島のサイクリングロードに戻ります♪
弓ヶ浜サイクリングコースは2020年4月までに全ルートが完成する予定です。
日本海と大山の両方を眺めながら走ることができ、砂浜や松林の中を走る変化に富んだルート。傾斜がほとんどなく、初級者でも気軽にサイクリングを楽しむことができます。


(画像は「とりネット」より転用)
疲れたら、浜辺のベンチで、ちょっと休憩をしたり、
さらには、境港の美味しい「海の幸」も堪能できます♪
「来たれ!全国のサイクリスト!」
弓浜半島が、サイクリストの「あこがれの聖地」になる日も近いもしれませんね。(笑)

ここまで、お付き合いくださり、有難うございました。m(__)m
「伯州綿」は、土地の利を利用して一大産地となったことを考えながら、弓浜半島の「サイクリングコース」を走っていると、歴史に思いを馳せ、色々なことが想像できます♪
本年も残すところあと僅かとなりました。
今年も様々な活動を行ってきましたが、これも皆様のご支援のお陰であり、大変感謝しております。m(__)m
来る年が、皆様にとって良い年でありますように。
来年も「伯州綿」を宜しくお願い致します!
良いお年をお迎えください。
では、また!

参考資料
「境港市史」
「弓浜半島とその周辺」
フェイスブックも更新していますので、お見逃しなく!
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